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06 Global Thinking|グローバル〈尾崎裕哉に問う。7つのこと〉

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尾崎裕哉を語る上で、「グローバル」というキーワードは外せない。Digital 1st Single「始まりの街」は彼の故郷・ボストンでの日々を歌ったように、彼のルーツの大部分には米国の存在がある。だからこそ、2017年3月22日にリリースした1st EP『LET FREEDOM RING』というタイトルや楽曲には、グローバルで多様な世界観が詰め込まれている。尾崎裕哉のこの一面に迫れば迫るほど、彼の本質が見えてくる。

Interviewed by Taiga BEPPU
Supervised by Daisuke YOSUMI

尾崎裕哉インタビュー連載
#01 Life Story
#02 Music is my Life
#03 LET FREEDOM RING
#04 Social Message
#05 My Father
#06 Global Thinking
#07 SECRET Q&A

 

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ライブに隠されたBGMのこだわり

Q1 前回のライブツアー『LET FREEDOM RING TOUR 2017』の開演前・終演後のプレイリスト(BGM選曲)は、裕哉さん自身によるものですよね。邦楽から洋楽まで選曲が本当にバラエティに富んでいて、尾崎裕哉の単独ライブの見どころのひとつになってますよね。

あのプレイリストは本当に僕が好きな曲だけを選び、曲順にもこだわったものです。自分の音楽性に深い影響を与えたのから、思い出深い名曲。さらに、その時のちょっとしたマイブームの曲を入れてみたり。時代やジャンル、言語や有名無名に関係ない、完全ボーダレスになっています。アーティスト名を一部明かすと、John Mayer、Ed Sheeran、Kendrick Lamar、Tuxedo、向井太一、KOHH、iriとか。

洋楽の中でもけっこういろいろ好みがあって、ブルース、ロック、ヒップホップ、ポップス、R&Bと、けっこういろいろ聴きますね。最近だと、Tom Mischとかケンドリック・ラマーが好きで。次の秋のホールツアーでもぜひ楽しみにしててほしいですね。

 

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Q2 プレイリスト以外にも、1st EP『LET FREEDOM RING』のリード曲「サムデイ・スマイル」もそうですが、裕哉さんのあらゆる表現活動において、思考の枠組みは日本だけにとらわれず、常に世界に向いていますよね。

僕は今、J-POPの中で活動しているので、常にその文脈を大切にして曲作りをしています。とは言え、洋楽的な世界観は勝手に滲み出てくるものだし、それは自分の個性だとポジティブに思っています。

というのも、5歳の時に母親と2人で米国のボストンに渡り、米国で10年間暮らしたことで、現地の音楽が体に染み付いているんですよね。14歳までは尾崎豊か、マドンナか、aikoか、宇多田ヒカルくらいしか聴いてこなかったんですが、学校の友人に誘ってもらってギターを始めてからは、どっぷり洋楽の世界に傾倒していきましたね。

 

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米国での学校生活

Q3 5歳で米国生活はどんなものでしたか?

ボストンのブルックライン区立学校のAmos A. Lawrence Schoolの、幼稚園と小学校に通いました。当時のボストンには日本人がたくさん住んでいて、ブルックライン区は特に多く、全校生徒のうち3割近くは日本人でした。最初の2日間は「日本に帰りたい」と泣いていたらしいけど、3日目には驚くほど順応していたようで(笑)。

この学校は僕のアメリカ生活の原点とも言えるんですが、馴染みやすかった反面、日本人とばかり一緒にいて英語はあんまり上達しませんでした。同時に、日本人以外にも様々な国籍や人種の子供たちが集まっていて、メキシコ人が差別的なことを言ってきたことで喧嘩になって職員室に呼び出されたことなんかもありましたね。

その後、小学校6年生の時にコネチカット州の全寮制のRumsey Hall Schoolに転校。しかし治安の悪い学校だったので、1年後には全寮制男子校のFessenden Schoolに転校。さっき話したインタビュー第1回で登場)、ギターを教えてくれた友人は台湾系アメリカ人だったんですが、他にも、人種を問わず多くの仲間に巡り会いました。

 

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Q4 ギターを誘ってくれたその友だち以外に、音楽と関係することで印象に残ってることはありますか?

韓国出身の寮のルームメイトのMichealという親友がいて。よく一緒に漫画を読んだり、韓国語の読み書きを教えてもらっていました。

音楽のこととかはあんまり話したことがなかったんですが、ある日、彼が韓国語の「I LOVE YOU」を聴いていたんです。なぜその曲を知ってるのか聞いてみると、「今韓国で一番流行ってる曲だよ」と。それが僕の父親の曲だということを伝えると、次の日には学校中の韓国人に知れ渡っていました。

ルームメイトや同じ学校の生徒が自分の父親の曲を知っていたことが純粋にうれしかったし、誇らしかった。それと同時に、いいメロディは国境を越えて人を感動させられることを知りました。この音楽の原体験ともいえる出来事は、僕の音楽人生においてはとても大きいですね。

 

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「クワイヤー」というもう一つの原点

Q5 その後ギターにハマって、洋楽の世界にのめり込み(インタビュー第2回を参照)。帰国後に通ったインターナショナルスクールではバンドを始めたんですよね(インタビュー第1回を参照)。それ以外には、何か音楽と関係することはしていたんですか?

学校では、クワイヤー(合唱)の授業をとっていました。宗教曲からクラシック、さらにスティービー・ワンダーのようなポップな曲も練習して、学内のコンサートで発表したり、全国のインターナショナルスクールの大会にも出ました。

クワイヤーには男女それぞれの2つずつの計4パートがあって、僕は男性の高い方のテノールを担当。総勢30人くらいで奏でるハーモニーは本当に美しくて、自分の歌声が全体と一体となる感覚がたまらなく心地よかった。僕らの十八番はRay Charlesの「Georgia on my mind」でしたね。

僕は昔から歌うのが好きだったんですが、実はちゃんと歌う練習したのはこれが初めてで。中に、現在プロのシンガーとして活躍するMay J.さんや青山テルマさんもいて、当時から圧倒的な歌唱力だったことをよく覚えています。今思うと、ものすごい環境で歌っていたんだなと思いますね。

 

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海外経験が多いからこそ、こだわりがない

Q6 日本でも海外の楽曲を、しかもクワイヤーという形で練習していたのが裕哉さんらしいです。その後、楽曲制作の基礎を学ぶべく参加したが、ボストンのバークリー音楽学校の短期プログラムに参加。これもまた海外ですね。

僕は日本だとか海外だとかあまり意識しているわけじゃなくて、単純に当時自分の求めていたトレーニングプログラムが日本にはなくて、海外だけだったんですよね。特にバークリーは世界各国からミュージシャンを志す人が集まってくる。それに、バークリー音楽学校の一番の目当は、最も尊敬するJohn Mayerも習ったというPat Pattisonの授業を受けるためでした。

「ソングライティングの90%はshit(クソ)だ。ソングライターの仕事はその90%をなるべく早く埋めることだ。だから、shitを書くことを恐れるな。残りの10%は良いものしかできなくなるのだから」

彼はそんなことを教えてくれました。これって英語だろうが日本語だろうが、作曲する時には活かせる考え方ですよね。実際に僕は、この学びを経て、このプログラムの最後の発表会では、今でも歌い続けている「Road」という曲を歌いました。

だから僕は、あれ以来ずっと曲を書き続けてこれたし、これからも書き続けて行きたいと思っています。

 

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Q7 裕哉さんの新たな一面が垣間見えたような気がします。このインタビュー連載も終盤なので、『LET FREEDOM RING』をリリースし、多くのフェスに出演し始めた裕哉さんの今後に向けた展望について伺わせてください。

僕の中には、国内や国外に関係なく、いろんな領域が存在し、複数の軸があります。それぞれのいいところを組み合わせて表現している、という感覚があるんです。

例えば、僕の音楽性は「尾崎豊」と「洋楽」という両軸がある。同じように、音楽フェスでは、バンドをバックにパフォーマンスすることもあれば、一人でアコースティックギターで弾き語りでも歌うこともあって、どちらも「尾崎裕哉」なんです。

そんな僕の中に眠る、様々な領域や軸をこれからもっと表に出して行きながら、僕にしかない、ベストバランスを見つけて表現していきたいと思っています。『LET FREEDOM RING』をリリースし、文字通り自分自身を解放した今、次作EPもほぼ完成し、さらなる楽曲制作も進めています。

僕の歌いたい本質やこうでありたいという理想はブレないけれど、この先自分がどう歩んでいくのかまだわかりません。だけど、しっかりと今を生きて、目の前のお客さんと向き合って、自分にしか歌えない歌を、歌い続けていきたいです。

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